ブドヴァを1時間遅れて出発したバスは
ドブロヴニクを経由して7時間ほどでモスタルへ。
入国スタンプを押してくれなかったが、どうやら問題ないらしい。。?
翌日はまずバスで20分くらいのBlagajへ出発。
乗った市バスは日本から提供されたものでした。
旧ユーゴ圏の人々は紛争後に援助をしてくれた日本に対して
かなり好印象を持ってくれているようです。
こうやって日本から贈られたものって分かるようにしてくれてるのが有難い。
Blagaij
ムスリム修道僧の家 15,6世紀に建てられたもの
近くの山の上には城壁が
頂上はお花畑 天空の城みたい
眺めも素晴らしい
モスタルに戻ってから町を散策。
この町も非常にきれいです。
Old Bridge 1566
紛争中に破壊されてしまった橋が今は復元されていました。
ライトアップもキレイ
宿のオーナーが紹介してくれた
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の動画
http://www.youtube.com/watch?v=sFF1v0n6VUg
このキレイな町の所々に紛争の爪痕が残っています。
人が住んでいる建物も
向かいの2つの建物が象徴的
人間の力を破壊に使うか
創造に使うかで、こんなにも差が出てきてしまう。
これを見て、なぜか日本のことを思わずにはいられませんでした。
日本には再生可能エネルギーの技術があるのに
原子力を手放すことが出来ない。
なぜなのか?
この原因、仕組みをしっかりと突き詰めなくてはいけないと思います。
原子力は破壊の道です。
3.11の警告を無視して進めば
どちらの写真のようになるかは明らか。
断固として反対しなければいけないと思います。
最終日は路上で歌ってきました。
喉は80%くらい回復したので1時間程度。
ここでもツーリストの方たちとお店で働いてる現地の方が
お金を入れてくれました。
今日の家計簿は黒字です。
途中、物乞いの子供3人とお母さんが向かいに座りました。
お母さんは道行く人に手を差し出している。
子供たちは歌っている僕の方に集まってきて
ギターをいじったり遊んでいたのだけれど、
少ししてお母さんが子供を呼びつけた。
何やら注意したのかと思いきや、
なんと女の子が小銭を持ってきて入れてくれました。
僕は歌ってる途中だったので、とりあえず御礼だけして、
お金を返すべきか、何か食べ物にして返そうか、
などと考えてるうちに、彼女らは他の現地人に
「邪魔するな、あっちいけ」的な感じで追い払われ
どこかへ行ってしまいました。。
なんともいえない気持ち。
学生時代に調布の路上で歌っていたときに
ホームレスから、みかんをひとつもらったのを思い出した。
あの時と同様
自分にとって大切なもの・必要なものを
僕に分けてくれたのです。
歌を途中で止めてでも
彼女らを追いかけるべきだった。。
貧しい中での心の豊かさ
こういう真のやさしさに触れると
自分の至らなさを痛感します。
出会えて良かった。
またひとつ心に残る思い出ができました。
ありがとう。